映画 『のぼうの城』 紹介
こんにちは!
今日の朝、公園でランニングをしていましたら、みんなマスクをしていることにビックリしました。
公園でもマスクするんですね。。。
走ってる人、自転車に乗っている人もしていました。
今の状況から言うと、これもしょうがないんですかね。
さてさて、今回は映画『のぼうの城』のご紹介をしたいと思います。
こちらは私が凄く好きな映画です。最近、久しぶりにまた見ました。
公開日は2012年11月ですから、8年前の映画ですね。
物語はというと、舞台は武蔵野国忍城。のぼう様と領民から慕われる城代 成田長親は、天下統一を目指す豊臣秀吉方の2万の兵を率いる石田三成軍に、500の兵で対抗します。
2万対500って半端ないですよね。およそ40倍の兵力差です。
これは400年前の実話がもとになった映画でして、500ではなく3000だったという説もあるみたいですが、その3000も軍人である武士でない百姓合わせての数だったと言われています。
3000だとしても勝ち目はないように思えます。
映画では、家臣達との話し合いで戦わず城を明け渡すことで意見が一致し、豊臣方の軍師を迎えます。
その豊臣方の軍師である長束正家は、「強気ものには弱く出て、弱きものには強く出る」といった人物。
当然、500の兵しかもたない成田長親に強い態度で出ます。
「直ちに城を明け渡さなければ、2万の軍勢がもみつぶす」
高圧的な態度で言いました。
あまりの高圧的な態度に、成田勢の家臣たちも動揺が広がります。
ですが、一番思い切ったのが、城ではのぼう様(でくのぼうの意)と呼ばれて領民から慕われていた成田長親でした。
成田長親の出した答えは2万の兵相手に戦うというものでした。
その時の、家臣との話で出てきたセリフがこちらです。
武ある者が武なき者を足蹴にし、
才ある者が才なき者の
鼻面をいいように引き回す。
これが人の世か。
ならばわしはいやじゃ。
わしだけはいやじゃ。
強き者が強きを呼んで
果てしなく強さを
増していく一方で、
弱き者は際限なく虐げられ、
踏みつけにされ、
一片の誇りを持つことさえも
許されない。
小才のきく者だけが
くるくると回る頭でうまく立ち回り、
人がましい顔で幅をきかす。
ならば無能で、人が好く、
愚直なだけが取り柄の者は、
踏み台となったまま死ねというのか。
それが世の習いと申すなら、
このわしは許さん。
引用 地球の名言 http://earth-words.org/archives/384
ここで家臣たちの意見もまとまり、石田三成率いる豊臣方の軍と戦うことが決定します。
500の兵がどのようにして2万の兵に対抗したか。見どころはたくさんあります。
何より、領民から深く愛されていた成田長親の人物像には目を見張るものがあります。
結果を言ってしましますと、2万の兵で攻められ、水攻めもされたにも関わらず、忍城は落ちませんでした。
その前に、北条家の小田原城が豊臣方の軍によって落ちて、一旦の終了となりました。
関東圏において、北条方の城はいくつもあり、忍城もその一つ。
ですが、小田原城が落ちる前に、落ちなかった城は忍城ただ一つでした。他の城は豊臣軍に落とされたか、早くも城を明け渡した形だったんですね。
成田長親は日本の歴史を変えたという説もありました。
今回は、圧倒的な武力でもって臨んだにも関わらず勝てなかった総大将としての石田三成は泥を塗られる形となりました。
その後、豊臣秀吉の死後、天下分け目の大決戦 関ヶ原の戦いで西軍の大将を石田三成が務めます。
結果は東軍の徳川家康勢に敗れ、石田三成は敗走、その後、斬首される形になります。
あの時、成田長親に勝っていたら。。。
もしかしたら歴史は変わっていたのかもしれません。
歴史って面白いです。色んな見方ができてしまいます。
そういう、石田三成も私は凄く好きです。
義に生きた男。豊臣秀吉に対する忠義心を最後まで忘れなかった人だと思います。
石田三成につきましても、機会がありましたらご紹介したいと思います。
最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございました!